阿修羅原
タイトルを見て、いきなり何事かとお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、そういう名前の人がいたんです。元プロレスラー。あしゅら・はらと読みます。
プロフィール。
http://kcmkuro.infoseek.livedoor.net/pro/w15.htm
そう、天龍同盟であり、龍原砲である。ヒットマンラリアットでもある。
無骨で不器用、モシャモシャ頭にヒゲ面。角刈りにヒゲ面。
飲んだくれ。素行不良で解雇。国際、全日本、SWS、WAR。
名脇役である。
http://dangerou.hp.infoseek.co.jp/sankan/tenryu-hansen/t-vs-h.html
名勝負の影に阿修羅原。
渋い。
http://dangerou.hp.infoseek.co.jp/sekaitagu/5rin-vs-ryugen.html
デビューは国際プロレス。
http://www5.ocn.ne.jp/~masaru.y/hara.htm
デビュー戦の相手は寺西勇。
引退後、俳優もやってみた。
http://www.jmdb.ne.jp/person/p0827420.htm
だが、長くは続かなかった。
『阿修羅のごとく』
http://www.7-dj.com/jp/cinema/deiji/de073.html
名付け親は野坂昭如だそうだ。
「阿修羅の記憶」
http://www.wrestling-high.com/tenryu/h999/h018.htm
顔を潰されているのが阿修羅原。
別に「時代は今、阿修羅原」でも何でもない。まさに昭和のプロレスラーである。
では、なぜ今、ここで取り上げようと思ったのか?
いや、谷やんヤラワ記事目当てに買った『週刊現代』にイイ記事が載ってたんですよ。
あの人は今… P.S.元気です
和製チャールズ・ブロンソンと呼ばれたプロレスラー
阿修羅原さん(57歳)
プロレスラーにはよくあることだが、この阿修羅原も、何度か引退と復帰を繰り返している。ただ、最後に引退した94年以降、ほとんど公の場には顔を出していない。
稼ぎを食い尽くして生活に困り、両親の元に戻ってしまったという噂が流れていたが……。
長崎県、九州道・諫早インターから、さらに車を走らせて20分余。一面に田畑が広がるのどかな場所で、阿修羅原さんは待っていてくれた。
長崎は阿修羅原の故郷である。
「引退して親に顔を見せようと帰ってきたら、そのまま戻れなくなったんだよ」
高齢の両親の介護を一手に引き受けている。その間に、炊事、洗濯、畑仕事をこなし、両親が寝る前にはそれぞれに1時間ほどマッサージする。
両親の元に帰っていたのは事実だった。だが、それには理由があったのだ。
主な収入源は、両親の年金だ。
……。
「でも田んぼを人に貸して米を作ってもらっているし、野菜は自分の畑で作っているから。月に2万円あれば生活できるよ。鶏肉を300円分買ったら4食分は作れるね」
第一線で華々しく活躍してきたプロレスラーのその後として見ると、どうしても寂しさは否めない。だが、誰もが大仁田厚のように器用に世の中を渡っていけるわけではないのだ。
いまもプロレスへの参戦の依頼がある。
「そりゃ、金にはなると思うけどね。チケット代金以上の価値がある自分のプロレスがもう魅せられない、と引退したんだから。それに、そんなことをやっちゃ、盟友の天龍を裏切ることにもなるだろ」
素人でもリングに上がる時代だ。現役復帰のオファーがあっても不思議ではない。「盟友の天龍」こと、天龍源一郎は現役バリバリで活躍しているし、引退から復帰したレスラーの相手もよく務める。
阿修羅原が復帰しないのは、彼自身に理由があるのだろう。それが何かはわからないが。
熱く語ったあと、原さんは優しい口調でこう言った。
「すべてを悟って仙人みたいになりたいんだけどね。まだ時々『俺はこんなにやってるのに』ってひがんだりする。まだまだ、ひよっこだよ」
いい記事だなぁ。
ところで、今、検索エンジンで「阿修羅原」を検索すると、このサイトがトップになる。
http://keitai.excite.co.jp/melo/detail/artist/?aid=364
……時代は変わった。